幕張を少し離れ、昭和の風景・江戸の絵画をご紹介・・・ 上 |
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幕末の乱世、何かと取締りの厳しい幕府体制の下、 “歌川国芳”は、様々な風刺画を残しています。左は絵葉書 ですが、上の〈讃岐院をして為朝をすくふ図〉や、下の 〈相馬の古内裏〉は有名で、どこかで目にしたことがある のではないでしょうか。 国芳は、破天荒な絵を描いておりますが、浮世絵師として、 多くの門下生を抱えて面倒を見ていたとか、家族を 大事にしていたとか、まあ無類の猫好きとか・・ アウトローとはま逆の温かい人間性が魅力的なのです。 |
国芳は、武者絵や美人画も描きましたが、幕府がうるさく なりますと、浮世の娯楽画を、美人(女性)→スズメや猫に 代えて描く、変幻自在に表現するセンスをもっていました。 太田美術館に展示されていました、ワザと幼稚っぽく ヘタうまに仕上げた画や、金魚づくし、たぬきの“金○ま” シリーズは、粋!当時、取締まりの目をかいくぐり 出回った洋画書を手本にした〈近江の国の勇婦於兼〉の画も 跳躍する馬に負けない女傑に元気をもらう画のひとつです。 |
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そして今年、国芳が注目されているもうひとつの理由は、 国芳の描いた下町風景画の中に、当時あるはずも無い “スカイツリー”が描かれていたというのです。場所も 現在の墨田区のあたりで、ほぼ同位置に長い塔のようなものが 遠景にくっきりと!! もう、天才には未来が見えていたと言い出す人々も現れ、 国芳への関心は、高まる一方です。 |
表参道にある「太田記念美術館」の歌川国芳展は、終了しておりますが、 浮世絵にご興味がある方は、その他の作者の展示も太田記念美術館で是非、お楽しみください。 幕末から明治にかけての乱世に人気を博した絵師の風刺心を、是非ご堪能ください。 今に通じる“何か”をきっと感じ取られることでしょう。 |
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2010年、千葉県佐倉市の歴史民族博物館に、新たな展示室 が公開されました。6番目の展示室のテーマは、“現代” 1931年(昭和6年)から1970年代までを3期に分け 展示してあります。満州事変から敗戦までの「戦争の時代」、 1945年(昭和20年)から7年間にわたる「占領の時代」、 そして、1955年(昭和30年)前後を起点とする 「高度成長の時代」。ご年配の方は、すべてをご経験でしょう。 戦争のおつらい気持ちがこみ上げてくるかも知れませんが、 戦後は、一貫してたくましく生活してきたという、ある種の活力を 得るかも知れません。今、受難感でいっぱいの若い方々は、 時に気持ちのお休みをとって、ご覧になってください。 |
左は、太平洋戦争の動員兵士たちを先導してきたラッパです。 そのほかにも、出征兵士に持たせる為の千人針を施した腹巻など、 戦意高揚の為に作成された品々が、たくさん展示されています。 話には聞いていたものの、実際に目にしますと、当時は、 誰もが“反戦”など口にできなかったであろう事が、 ずしりと伝わってきます。 国民のムード、教育の刷り込み・・・非常に怖いことです。 |
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戦後に転じますと、右は駐日 米人ジャーナリストの滞在部屋。 畳間に事務机を置いているのが たいへん印象的です。一方で、 左は、戦後だいぶ経ってでも、 総トタンの日本人家屋。 国力の差は、歴然。 開戦の無謀を感じ取ります。 |
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昭和30年以降の高度成長時代。 「もはや戦後ではない」の標語の もと、急速な発展を遂げた日本。 テレビ放送の始まり、電化製品の 普及、狭いながら寝食をわけた住宅。 これらの展示を見ながら、昭和は 激動だったのだとの思いをあらたに! |
千葉県佐倉市にあります歴史民族博物館の最寄り駅は、京成線の佐倉駅です 京成佐倉駅下車、国道296沿いを上り上野方向へ1km弱約15分ほど徒歩。 緑豊かな敷地には、駐車場も十分。お車でもお出かけください |
★ ★ ★ 写真撮影禁止のところでは、一切撮影をしていません。 ご紹介した展示物は、ほんの一部です。国立歴史民族博物館は、第一から第六展示室まで 年代別に展示。石器時代から現代にわたる資料は膨大です。少なくとも半日費やすくらいの 余裕をもってお出かけください。 ** 歴博案内の先頭へ ** |
*現在この特別展は 終了しています* |
2011年4月〜6月5日 千葉市美術館が扱う特別展示は、“浮世絵”。 江戸中期、徳川幕府の世が安定し、小金持ちがお芝居を楽しんだり、 大店の主が、色町の女性たちとお花見に繰り出したり、そんな泰平風俗を 版元に雇われた大勢の絵師たちが、出版目的で描いたものが、浮世絵! 今で言う、タレントのプロマイド的存在だった為、その芸術性を 国内では高く評価していませんでした。その為、明治の混乱期、 浮世絵版画は元より肉筆画さえも、欧米にたくさん流出してしまいました。 現在、ボストン美術館に浮世絵の名品の数々が所蔵されているのには、 理由があります。 |
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早くから浮世絵の美しさに魅了されたひとりの人物がおりました。 岡倉天心とともに東京美術学校設立に尽力した哲学博士アーネスト・ フェノロサに大きく影響を受けた“ウィリアム・S・ビゲロー”医師です。 ビゲローは、1882年から8年間の日本滞在中、 多くの日本美術品を収集しました。後年、その多くをボストン美術館に 寄贈したため、数多くの浮世絵が、ボストン美術館に所蔵されているのです。 今回展示されますのは、錦絵が最も華やかなりし天明・寛政期 (1781−1801)に活躍した鳥居清長(きよなが)、喜多川歌麿 (うたまろ)、東洲斎写楽(しゃらく)を主とする名品の数々です。 歌舞伎との深い関わり、スター絵師たちのタッチの差異を是非その目で! |
ところで、先日NHKで放映された、東洲斎写楽の正体についての番組は、 ご覧になりましたでしょうか? 1794〜1795の10ヶ月の間に、 145点の錦絵を出版し、その後、こつ然と姿を消したといわれる浮世絵師、 それが、東洲斎写楽です。館内には、その貴重な写楽の版画がたくさん!! 今最も注目される写楽の特別展は、東京国立博物館でも開催されております。 興味のある方は、そちらも是非ご覧いただくといいでしょう(6/12まで)。 ちなみに、写楽とは、だれなのか・・・・現在最有力説は、 阿波出身の能楽者「斎藤十郎兵衛」ですと。ではなぜに作品を見なくなったか? その秘密の有力な説は・・・千葉美術館館内の案内書きにもありましたよ! |
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フロアーをくだり、同時開催されておりました所蔵作品展の主たる作者は、 岡本秋暉(おかもと しゅうき)。小田原藩士の養子となり、江戸中屋敷に 勤務するかたわら、作品を残した文人画家だそうです。 渡辺崋山や椿椿山(つばき ちんざん)と親交があったととのこと、 細密でありながら迫力のある画風は、崋山や椿山と肩を並べるほどの技量と いえるでしょう。正確な写実性、その迫力と気品に圧倒されてしまいます。 浮世絵もいいですが、やはりこの正統的な絵は、高級感がありますね。 「1枚あげるよ」といわれれば、間違いなく写楽よりこちらを所望します! |
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*** 当然ですが、展示作品の撮影は、一切禁止されております *** 千葉市美術館の開催する特別展は、センスが良い! 学芸員さんの力量とご努力が、伺えます。 ボストン美術館所蔵“錦絵の黄金時代展”は、2011年6月5日、好評のうち会期が終了いたしました。 |
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千葉市美術館の最寄駅は、京成千葉中央駅です 京成千葉中央駅下車、成田方向へ徒歩5分くらいです。千葉市中央区役所の中にありますので、 迷われた時には、中央区役所の行き方をお尋ねください。 ** このページの先頭へ ** |