第1話: 馬加村の民(ばかむらの・・たみ)ですかい?
左上の写真は、京成幕張駅前の白く美しい神社を撮影したものです、
幕張というと、メッセに代表されますように、比較的新しい町ではないか?と思われますが、
意外にも古く漁師町として栄え、歴史ある寺社・神社を有します。
手前は「秋葉神社」そしてその隣には、ひとまわり小さめの「昆陽神社」が、並んでいます。
昆陽とは、江戸時代の蘭学者、青木昆陽のことです。
8代将軍徳川吉宗の命により、享保の改革(1716〜1745)を支えた人物のひとりです。
栄養価の高いさつまいも(甘藷)が、関東の地でも広く収穫できるよう、様々な苦労の末、
それを成功させました。江戸小石川薬園(現在の文京区小石川植物園)から株分けし、
関東数ヶ所で試験栽培に望みましたが、初めは、幕張の地でしか成功しなかったそうです。
昆陽没後の天明の飢饉でも、甘藷のお蔭で、幕張周辺の村々では餓死者がでなかったといいます。
民衆は、感謝と敬意を込めて、この甘藷先生の名を冠した神社を建立したのでしょう。
歴史教科書では、将軍・武将の名がどうしても先にたちます。
文学者やその著書も日本史の試験には出題されますね。でも、本当に民衆の為に尽くしてくれた
人物は、こういう学者なのだと、常々思います。
けっして大きな神社ではないのですが、たいへん誇らしい神社です。
実のところ数年前まで、ここは長らく開かずの踏み切り前だったので、こんもりと小さな森が
あるだけだと、関心を持たずにいました。
地下道ができる前は、もっともっとミステリアスな感じでしたね。
今更ながら、偉業の跡に見向きもせず、大変残念な思いです。
一度変わった景観は、もう戻らないと認識し、もっといとおしむべきでした。
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・・・・反省しながら、きれいに整備された神社の由来書きを読んでいると、
「幕張=馬加村」と、なっているのに気づきました・・・
馬加村ねえ・・・ばかむら?・・・江戸時代には「ばかむらの民」だったわけです・・私たち。
賢者青木昆陽に救っていただいたのが、皮肉にも「ばか村の民」なんです・・・
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正しくは、「まか村」と、読んだらしいです。
馬加村→まかむら→まくわりむら→まくはりむら→幕張村→幕張町
と、変化していったようですね。
市町村合併が進み、全国的に町名が変わったりしていますが、むやみに変えては、
いけませんね。
地名の成り立ちは、深く重く尊いものです・・・。
**「秋葉神社」・「昆陽神社」へは、京成幕張下車、徒歩1分ほどです。お近くにお出での際には、
是非、由来書きをお読み下さい。京成幕張駅に出る道路を挟んで、甘藷の栽培試験場跡地にも、
お忘れなくお立ち寄り下さい **
☆ 受験生におまけ ☆
江戸時代の三大改革ってなんでした?
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